大学生目線で議員を知ろう アツイ思いを直接取材 国会議員直撃インタビュー

豊かで安心な暮らしを守る
~故郷大阪のため、そして日本のために~

 大阪市会議員として初当選以来、平成27年に、政治活動20年の節目の年を迎えました。
政治の道を志した当初より「国を守り、ふるさとを守り、家族を守る」を行動の指針とし、それは活動の場を国政に移した今も変わりません。
国政でも、4期に亘る市会議員としての経験を活かし、わかりやすい政治、身近な政治を心がけています。

10月22日肥後橋オフィス取材アルバム

地元での1日

06:00 起床
新聞、テレビなどのニュースを確認後、事務所へ
08:00 事務所を出発
08:30~16:00頃 選挙区内の各地域の運動会12件の応援に走り回る
16:00~22:00 秋祭りやイベント、会合に参加、御挨拶
22:30頃 帰宅
資料の確認や整理をした後、明日のスケジュールを確認
24:00 就寝

国会での1日

06:00 宿舎にて起床
07:15 宿舎出発まで新聞、テレビなどのニュースを確認
07:30 自民党本部にて開催の部会に出席
08:55~12:00 自民党主催早朝勉強会
さまざまな勉強会がありいくらでも参加可能
12:00~13:00 各種団体の大会に出席し、挨拶
13:00~15:45 衆議院本会議
16:00~17:00 自民党ネットメディア局会議
17:00~ TPP委員会再開の可能性あり
議員室にて待機
17:45 委員会、開催できず。
秘書と日程ほかの打合せを済ませ、議員室を出発
18:00~22:00 各種会合に参加、御挨拶、懇談など
22:30頃 帰宅
資料の確認や整理をした後、明日のスケジュールを確認
24:00 就寝

スケジュールについて

 永田町には「金帰火来(きんき・からい)」という言葉があります。
 衆議院の本会議や委員会には開催定例日があり、例えば本会議は火・木・金です。そのため、土日と月曜日にめいっぱい地元で活動し、火曜日の早朝に上京して平日は国会、金曜日の夕刻にまた地元に帰るサイクルのことを言います。大西も「金帰火来」ですが、忙しい時期には1日のうちに東京と大阪を往復することも度々あります。
 大西は衆議院議員当選以来、体調不良や他の理由による本会議や委員会の欠席をしたことはありません。体調管理も仕事のうち、重い責任をしっかりと自覚しています。

大西宏幸アルバム

衆議院議員としてオフィシャルな大西

政治との接点

 大阪市会議長を務めた亡父に、言葉ではなく活動を間近で見ることで政治が自分たちの生活に重要な役割を果たしていることを教えられました。政治、特に地方議員は、地域の皆様に支えられてこそできる仕事です。そうした環境で育ったので、自分も生まれ育った地域に恩返しがしたい、社会の役に立つ仕事がしたいとの思いが強くありました。大学卒業後、父の秘書として働き、父が亡くなったことをきっかけに、市会議員として立候補しました。初当選は27歳の時です。実際に自分自身で政治に携わるようになると、想像以上に困難な課題が多くあることに気が付きました。物事は多面的で複雑であり、ある人の意見に従えば、別の人から反対されます。
 政治は、どこを目指すべきなのか、真剣に悩むこともありました。年齢を重ね、経験を重ねた今も、明確な答えは見つかっていないのかもしれません。

大阪市会議員として

 4期連続当選させていただき市政の仕事をした中で一番印象深いことは、労働組合による「闇専従」問題に取り組んだ時のことです。当時の大阪市役所では、労働組合が非常に強い権限を持っていました。例えば、組合員である職員が、本来の職場に出勤せずに労働組合に専従しているのに、本来の職場に出勤しているとして書類を作成、責任者の決裁まで取り、給与やボーナスが普通に支払われていたのです。この場合、組合からも専従手当として給与が支払われますから、給与の二重取りです。こうしたことは氷山の一角で、他にもたくさんの問題がありました。私は体当たりでこの問題の解消に取り組み始めましたが、もちろん一筋縄ではいきません。命の危険があるとして、警察の警護が付いたほどです。どうにもならず立ち往生してしまい、途方にくれることもありましたが、コツコツ活動しているうちに、テレビの報道番組が取り上げてくれ、そこから応援してくださる方が増えていきました。闇専従問題が解消できたことは、今でも誇らしく思うと同時に、応援してくださった多くの方のお顔が心に浮かびます。

国政への挑戦

 市会議員としての活動は充実していましたが、日本は高齢化が世界に類を見ない速さで進展し、国の財政も厳しい状態が続いており、また情報通信技術等の飛躍的な発展により社会・経済構造が大きく転換する時期を迎えていました。郵政民営化など、国の基幹とされてきたシステムも変革され「世界標準の日本」になることを求められていました。
 そうした中で「国を守り、ふるさとを守り、家族を守る」という行動指針が改めて自分の中で大きな比重を占めるようになりました。
 日本が大きく変わろうとしている時に、「本当に自分のしたい仕事をするならば国政にいかなければ」と決意しました。初めは参議院選挙、衆議院議員選挙と2回続けて落選しました。平成26年末の衆議院議員選挙で当選するまで、この間、4年。またしても地域の皆様が私を支えてくれました。

衆議院議員として

 年齢的には、ベテランと若手のちょうど中間くらいだと思いますが、永田町では当選回数がすべてです。当選1回の私は、党の勉強会や委員会など、下働きの仕事も多くあります。さて、法案がどのように成立するかというと、予算を例に大まかに説明すると、政府(内閣)が予算案を作成し、国会へと提出。本会議で提案理由の趣旨説明や質疑をした後、予算委員会に付託され審議します。予算委員会で採決され、賛成多数の場合には本会議で全議員が参加しての採決となります。このステップの各段階で与野党の駆け引きがあるわけです。また、政府が予算案を作成する以前に、自民党として来年度予算に対して意見を取りまとめます。政府与党と言いますが、政府の政策を推進すると同時に、政府に対して政策提案ができるのが与党の強みです。ちなみに、これは予算編成大綱や税制改正大綱として取りまとめられ、政府へと届けられます。
 秋から年末にかけて新聞やテレビのニュースでご覧になったこともあるかもしれません。
 遡って、この党の取りまとめのプロセスですが、まずは部会と呼ばれる会議で分野ごとに議論されます。例えば学校予算なら文部科学部会、道路整備なら国土交通部会といった具合です。
 この部会は、国会の委員会などが開催されない時間に開催しなければ議員が集まれませんから、朝7時や8時などから開催されます。

現在の役職

 衆議院では、内閣委員会委員、安全保障委員会委員、北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会委員、消費者問題に関する特別委員会委員、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)等に関する特別委員会の委員を務めています。自民党では、国会対策委員会委員、広報本部ネットメディア局次長、厚生労働関係団体委員会副委員長の役をいただきました。
 特にネットメディア局次長としては、毎月第二・第四水曜日の昼12時から「関西人!俺にも言わせろ!」というネット番組を担当しています。インターネットやスマホで見られますし、私のホームページにはアーカイブがありますので、是非ご覧ください。
 http://onishihiroyuki.jp/movie.html

政治家として成し遂げたいこと

 大阪市会議員時代から携わっていたことですが、安全でクリーン、安価なエネルギーの安定的供給システムの構築です。特に、下水道から回収した汚泥等を使用しての発電システムは、資源に乏しい日本で、有効な代替エネルギーとなる可能性があると考えています。私は、日本は災害の多い国でもあり、原子力発電は可能な限り減らしていくべきだと主張しています。そのためにも、代替となるエネルギー供給システムの構築を急がなければなりません。下水汚泥から発電するシステムは、大阪では堺市など、全国の市町村で実証実験まで進んでいます。
 また、商人の街、かつては日本経済の中心地であった大阪の再生です。東の東京、西の大阪、首都東京に負けるとも劣らない勢いを取り戻す一助となりたいと考えています。私の選挙区には、大型の商店街がいくつもありますが、ある商店街の代表の方が中心となって、留学生にお店などでの職場体験を通して日本を理解してもらい、若い彼らが帰国した時に、日本の、中でも大阪を宣伝してもらおう、再訪してもらえる関係を築こうというプロジェクトを立ち上げた方がいます。私もメンバーとして定期的に開催される会議に参加しています。将来、彼らが企業の中で責任のある立場になった時に、取引ができるようになるかもしれない、夢は大きく膨らみます。人口が減少する日本にとって、海外からのお客様は重要です。1度旅行で来るだけでなく、継続して日本を訪れたり、ビジネスで提携できるような環境づくりに力を入れたいと考えています。

衆議院議員としての活動を振り返って

 衆議院議員として当選直後に予算審議が始まり、まだ1ヶ月程度の活動期間にもかかわらず、予算委員会の分科会での質問に手をあげました。自民党は議員数が多いため、なかなか質問の機会が回ってきません。チャンスは必ずモノにしようと決めていますが、さすがに初めての質問は緊張しました。
 委員会での質問は、大臣や省庁の答弁者とのやりとりが議事録として残ります。だから重要です。ちなみに、初質問の予算委員会分科会は、総務省所管事項と経済産業省所管事項に関する2つの分科会で質問の時間がもらえました。総務省所管事項の質問では、ちょうど大阪都構想の時だったので、住民投票に関する総務省の対応について質しました。
 これからの日本は、人口減少が急激に進みます。特に労働人口が減りますし、世界との競争もさらに激しくなるでしょう。また安全保障環境も厳しい状況です。そうした難しい時代をどう乗り切って子どもたちの未来を守るのか、必死で走る毎日です。

プライベートな大西

趣味は?

 最近は忙しくて、趣味を楽しむ時間もほとんどありませんが、音楽を聞いたりするのは好きです。大阪は大衆芸能がイキイキと輝く街です。時間があれば小さなライブハウスや寄席などに立ち寄ったりしたいですね。また、だんじりなど、お祭りになると血が騒ぎます。衆議院議員となった今でも、できるかぎり参加しています。
 趣味とは違いますが、大阪市会議員として政治の道に進んだ頃から、山岳信仰の行者としても活動しています。初めは只一心、祖国・郷土・家族の安寧、人の役に立つ人間として立てるようにと祈願の禊を10年続けました。東大阪にある枚岡神社境内の禊場をお借りして、毎週木曜日と日を決め、真冬の寒い日も仕事で夜中になった日も必ず禊をしました。そんな私の姿を見ていた妻も、修行者として禊を行うようになり、それは今でも続いています。

家族のこと

 家族は妻と、高校生の長男を筆頭に、長女、次女の5人です。政治家は、家族の理解と協力がなければとても続けられません。迷惑をかけることも多いです。
 特に妻には、家庭を守ってもらうほかに、私の母から引き継いだ会社の仕事、そして何より日常の政治活動でもずいぶん助けてもらっています。私が国会にいる時に地元で大切な行事があると、妻が代理で出席してくれます。また、私の代わりに地域を廻ってくれることもあります。
 後援会の行事でも、名簿作成や案内状発送などの事務作業から当日の受付など、細々と手伝ってくれます。
 地域では、もしかしたら私より人気があるかもしれませんね(笑)
 衆議院議員となって平日は東京にいるようになり、すぐ近くで家族の相談相手になれなかったり、日常の小さな出来事が共有できないことは少し悲しく思いますが、その分、大阪に戻った時には、ゆっくり話をする時間はなくても、1週間分のコミュニケーションをとろうと努力するようになりました。いつか議員としての務めを果たし終えたら、今度は家族のために、残りの人生を捧げたいと思っています。

若い世代へ伝えたいこと

投票に行こう!

 政治の最も重要な役割の一つは、国民の皆様から集めた税金をどこに、どう配分するかを決めることだと思います。道路や橋など生活に必要なインフラをつくる費用、健康保険や年金、障がい者や高齢者、ひとり親家庭への支援などの厚生関係費用、災害復興支援にかかる費用、国の安全を守る安全保障費用など、必要な配分先は様々です。また、国の基本的な方向性を定めることも重要な役割です。エネルギー政策などは特にわかりやすいですね。原子力発電をどうするか、テレビでもニュースになることが多いです。
 日本は議会制民主主義=間接民主主義ですから、18歳になり投票権を得たら、各党の主張、各候補者の主張をよく吟味して、ぜひ投票に行ってほしいと思います。自分の1票で何が変わる?という考えは、間違いです。投票する側から見ると何万票の中の1票ですが、私たち立候補する側は、その1票を獲得するために街頭演説や個人演説会で政策や主張を訴えます。また日常の活動の中で、地域の方々や有権者の方々との交流を通して、今どのような政策が求められているのか、検討中の政策に対するご意見はどうか?などを注意深く見て、聞いています。実際に今夏の参議院選挙でも、18歳選挙権が導入され、各党が若い世代のための政策にこれまで以上に力を入れていました。
 獲得する票は、私たちにとって通知表と同じです。票数が減れば、私の政策や努力が足りなかったということ。逆に増えれば、評価していただいたということ。私も、お預かりした1票に恥じない活動を続けていきます。
 ぜひ、投票に行ってください。

まとめ

 学生時代は、色々な経験ができるチャンスです。勉強、スポーツのほか趣味やアルバイトなど、様々な場面で色々なことを吸収してほしいと思います。
 感じたこと、考えたこと、身に付けた技術を基に起業することもできるだろうし、政治家を目指す人が出るかもしれません。
 世界がグローバル化し、国境を楽々と越えられる時代になりましたが、日本人の勤勉さや穏やかさ、他を内包する優しさは今でも世界に誇れるものがあると確信しています。私はそんな日本が大好きですし、生まれ育った大阪・生野が大好きです。世界を知れば知るほど、誇らしく思うようになりました。皆さんにも、生まれ育った国を好きになって、大切にしてほしいと思います。

プロフィール

略歴

昭和42年7月生まれ(49歳)芦屋大学教育学部卒業
平成7年4月 大阪市会議員初当選(以後、4連続当選)
平成17年9月 自民党大阪府連青年局長
平成20年5月 アメリカ国務省のIVLPに選定され参加
平成24年9月 芦屋大学客員教授
平成26年12月 第47回衆議院議員選挙初当選

選挙区

大阪1区/大阪市中央区・西区・港区・天王寺区・浪速区・生野区

編集後記

芝田雄哉

芝田 雄哉

(しばた ゆうや)
立命館大学経済学部3年生

 「豊かで安心な暮らしを守る。故郷大阪のため、そして日本のために。」という言葉をモットーに衆議院議員として、ご活躍されている大西宏幸議員にインタビューをして来ました。私自身、初めてのインタビューが政治家の方ということもあり、とても緊張していました。しかし、大西議員と話をしているうちに、その緊張もほぐれ、話に夢中になっていました。というのも大西議員の巧みな話術と人々を惹きつける力、そして人柄の良さによって、いつの間にか親近感を湧いていました。とても兄貴肌な方です。
 そして、私が最も聞きたかった、「一般的な大学生が政治にそこまで興味がないのはなぜか?」という疑問に対して真摯に答えてくださいました。特に印象に残っている言葉が、「それは日本がとても平和な国だから。明日が当たり前のように来ると国民は思っているから。」と仰っていました。私はこの考え方にとても感銘を受けました。加えて、治安の悪い国や、明日戦争で死ぬかもしれないという環境下で生活している国で選挙や国民投票を行うと投票率は90%を超えると仰っていました。それは、今行っている投票が直接、明日からの自分に影響するからだと考えています。今まで自分では考えたことがない視点で物事を考えていたので、とても勉強になりました。
 また、大西議員の大阪を愛する気持ちや、故郷に恩返しをしたいという気持ちがひしひしと伝わってくるインタビュー内容でした。私も今後社会人になった時、いつか大阪のために、故郷のために何か恩返しができる人間になりたいと決心できる素晴らしい機会でした。約1時間半という時間を設けてくださった大西議員に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

李天鯨

李 天鯨

(り てんじん)
京都外国語大学国際教養学科4年生

 今まで何度か自民党の国会議員の方にはお会いしましたが、近い距離でじっくりとお話ができたのは今回の大西宏幸議員が初めてでした。予想以上の話しやすさに、大西議員の人柄の良さをまず感じました。エネルギー問題から始まり、TPP、都構想、若者の政治への無関心など幅広い事象についてお話しいただきました。
 私は、その中でも母国中国と日本の教育における価値観の違いについて質問させていただきました。中国の教師は、教科書の内容を教えるだけではなく、一人の人間としての思いを伝えますが、日本の教師は教科書の内容のみしか教えない方が多いように感じていましたが、それについて大西さんから興味深い答えをいただきました。日本でも教科書の内容は本来必要最低限な内容で、それに加えてそれぞれの熱意のこもった工夫が施されるべきだが、それをしていない、いわゆるゆとり教師という人々が増加しているということです。たしかに、それに比べて中国の教師には純粋な愛国心を持っており、中国の将来を担う世代の育成という意味で自然に力が入るという意味では納得できました。
 ただ、個人的には最近の日本で顕著な教育現場の政治的中立的という流れや、最近の教育者の労働条件の悪化などとの関係にも興味がわきました。さらに勉強する意欲がわきます。普段あまり真剣に考えることの少ないような政治的なことも改めて興味を持って考えることは非常によいことに感じます。そういう場を設けてくれた田中さんや来てくださった大西議員に感謝しております。ありがとうございました。

阿比留高広

阿比留 高広

(あびる たかひろ)
京都外国語大学国際教養学科4年生

 大西議員は、安全でクリーン、安価なエネルギーの安定供給を目指しておられる。エネルギー問題といえば原子力発電の存続・廃止にのみ焦点が絞られがちな昨今、代替エネルギーの可能性と現実性に大胆にアプローチしようという姿勢には率直に感銘を受けた。さらに、地産地消・リサイクルを重視した江戸時代の構造も研究され、下水道の汚泥を利用した発電システムの構築に注目しているあたりに大西議員のユニーク性が発揮されていると感じられた。科学技術の発展任せではなく、温故知新の精神で古き良きものごとの考え方や価値観を再考してみるのもなかなか有意義ではないだろうか。
 しかし、再生可能エネルギーの普及がなかなか進まない原因は、単に精神論だけでは片付かない。将来の再生可能エネルギーへの転換に希望を持ちながら、同時に現在のエネルギー事情の循環にはびこる利権構造にまでメスを入れる必要性も痛感した。
 今後も、多くの価値観の違う政治家たちと率直に意見交換をしてみたい。