大学生目線で議員を知ろう アツイ思いを直接取材 国会議員直撃インタビュー

中山泰秀

愛と心のある政治を!改革の闘士

 21世紀初頭に、政治に志を傾注出来る機会を与えられたことを、神佛に感謝します。
戦争の20世紀に反省を込め、191の国が加盟する国際連合が世界を破滅から救う努力を重ねているその本部の真近で、9・11テロ事件が起こり、新たな不安を抱いた世界が浮き彫りになりました。三大宗教が対立する世界です。17条憲法で聖徳太子は、近隣の国の覇道政治が民衆を苦しめる姿を見て、日本は王道を求め、権力と権威を分離し、神と佛が併存する政治の根本原理を示されました。
平和の世紀を築き、日本の繁栄を使命にして日本精神を掲げて情熱を捧げる政治家を目指します。

10月3日 オフィス取材アルバム

中山議員にとって大切なモノとは?

中山泰秀の原点

 この写真は1972年当時です。1969年、衆議院に初当選した私の父、正暉が選挙区の中心部JR大阪駅前で、時の内閣総理大臣・田中角栄氏と街頭演説を行った時のものです。当時私は2歳。さてどこにいるのでしょうか。横断歩道の階段?写真のバックを横切る通路?写真中央からやや下寄りに映る宣伝カーをご覧ください。スピーカーの下、正暉と2ショットで写る子が、当時2歳の私です。当時に比べて今日、こういった政治に対する盛り上がりがみられないのが、本当に残念だと思います。日本の将来を憂い、少しでも日本人が情熱を傾ける政治を通じて国力を上げたいと思う政治家・中山泰秀の原点がここにあったのです。

中山家で進められた自由党の結成

中山泰秀が語る「中山家の歩み」政治に真剣な家に生まれて

 右の写真を見てください。この左から3番目にいるのが、私の祖父・中山福蔵です。その向かって右にいるのが鳩山邦夫さんと現民主党代表由紀夫さんの祖父である鳩山一郎氏です。一緒に写っているみなさんも、後々議長や首相そして大臣になる政治家達です。
これは昭和21年の写真です。場所は祖父・福蔵が枚岡に所有していた別邸。戦中父・正暉の兄弟もここに疎開をしていたこともあったようです。ここに祖父が鳩山さんをはじめとしたこの面々と相集い、当時の自由党を結成する運びを決めたのです。
しかしこのあと、鳩山氏と総理大臣の座を争っていた吉田 茂氏がGHQに、鳩山がナチスドイツを肯定しているような文面の著書がとたれ込みを行い、鳩山氏は占領軍からの追放令により政治的立場を奪われ、結局、総理大臣の座が遠のき、吉田氏が先に総理大臣になることになりました。鳩山氏も最終的に総理大臣になり、そして自民党初代総裁になりました。その原点の写真です。そのような歴史に、祖父・福蔵をはじめ中山家も加わらせて頂いていたのは他でもない、当時から祖父を支えてきて下さった大阪の皆さんの本当にお陰であると心より感謝をしております。史実として、このように大阪で、昭和の政治の歴史の1ページがつくられてゆき、平成に至っても鳩山和夫・一郎・威一郎そして現在の鳩山由紀夫・邦夫として4代目にあたる「2羽の鳩」は活躍されている。私も中山家で政治家を務めさせて頂いて親子3代ですが、日本の政治の中で、代々に亘る形で日本の国民・国家の為に働かせて頂けていることに、また与えられた使命を全うさせて頂けていることに、本当に地元の皆様に「ありがとうございます!」と感謝を申し上げます。ましてや現在繰り広げられている、吉田 茂氏の孫、麻生太郎首相と民主党の鳩山一郎の曾孫、鳩山代表の戦いも、もとをただせば吉田 茂氏と鳩山一郎氏との争いから、まるで因縁かの如く同じことを演じているという歴史の不思議を感じます。 

中山家枚岡の別邸で進められた自由党の結成

祖母・マサ

 祖母・中山マサは長崎出身で、長崎には活水女学校というミッションスクール・プロテスタント系の名門女子校があるのですが、祖母が13歳当時、米国宣教師であった先生のお薦めで14歳の時アメリカに渡りました。正に第一次世界大戦中、ドイツ軍の潜水艦Uボートに追い掛けられながら、必死の思いでアメリカ大陸を目指したそうです。そしてオハイオ州ウエスレアン大学を卒業した後、日本に帰国し長崎の活水女学校で、英語の教師をしておりました。今はこの写真に写るように、校舎内同窓会事務局前に、胸像を建てて下さっています。そして将来、その彼女が「大阪の有権者の手によって」日本初の女性大臣になるわけです。まさに大阪有権者の先見性の象徴であったと言えます。祖母は私の誇りであり、そして同時に心よりの『感謝の意』を今でも大阪の皆様に忘れたことはありません。
この祖母マサと中山福蔵を縁組して下さったのが、早稲田大学創始者・外務大臣も経験された大隈重信公の秘書官 川尻正修氏のお世話になったお見合い話なんです。そして2人は大阪市で新婚生活に入り、戦前衆議院に当選したのは昭和7年、くしくも父正暉が生まれる直前のことです。戦前の話ですが、中山福蔵というのは、独立心が非常に強くて、東大在学中に休学をしてジャワ、インドネシア ボルネオの方で、ゴム園を経営していた伯父を助けて活躍していたこともありました。

祖父・福蔵

自らを「大自然主義者」と言っていた祖父・福蔵

 祖父・福蔵は九州は熊本生まれ。父が早く亡くなったので母に連れられて、鹿児島・志布志に移りました。私も鹿児島県人3世で、現在同県人会メンバーです。福蔵は、大阪の旧制富田林中学に遊学し、家庭教師をしながら苦労しました。勉学だけは人一倍できたので、大学進学までを全て特待生として独立独歩。旧制第七高等学校から東京帝国大学法学部を卒業、弁護士事務所を東京で開けということを最初言われたそうですが、東京だと東大の同級生と法廷で争わなきゃいけない。それは宜しくないということで、大阪で中山福蔵弁護士(法律)事務所を開きました。

 福蔵が言っていた言葉の内で2つ、父から聞き伝わっているものがあるのですが、1つは「世界の将来はアフリカが決する。」もう1つが「大自然を大切にせよ。そうでないと、やがて人間は自然からしっぺ返しを食らうぞ。」というもの。人間が自然を裏切ると、自然は必ず人間にしっぺ返しを食らわす、と言っていたんです。自らを「大自然主義者」と言っていて、戒名の中にも「盡政院釋自然」という文字が入っているくらいで、自然に対する思いが強かった祖父だったのです。
戦前いろんなことがありましたが、結局「エコ」なんて当時訴えても、今よりも環境が数倍いいと感じられていた時代でしたから"なに言ってんだ"と言うことだったのかも知れませんが、なかなか現在のように自然環境に対する「ピン!と来る」思いの人々が少なかったと想像します。しかし、戦前3期衆議院で活躍できたのも大阪の有権者が政策に敏感である、先見性があるという証左だと思います。
戦前昭和15年2月2日、兵庫県豊岡の代議士 斎藤隆夫という人が「聖戦の美名に隠れて」と軍部を批判し、反軍演説をしました。東条陸軍大臣当時です。その反軍演説をした結果、斎藤氏は除名処分の決定がなされるわけです。ちなみに今でも、衆議院の決まりで3分の2の賛成があれば1人の国会議員の議席を奪うことができるんです。その反軍演説をして3月7日ついに除名処分になったのです。
祖父・福蔵は、斎藤 実内閣時代、私も小泉内閣時代議事進行係を務めました。(議長~!っていうやつです。)ちなみに父正暉は田中角栄内閣時代と親子3代議事進行係を務めている例は、憲政史上初であります。斎藤隆夫除名に際して祖父福蔵は弁護士で法曹界にいることから、被告人の刑が確定しても、刑を執行するまでに猶予期間をおくべきではないか。内閣の方針に異論の演説をしたからと言えども、短期間のうちに除名をすることに対し反対を述べたところ、祖父・福蔵までが東条首相からと国会の廊下で腕を掴まれ、いやみを言われたことがありました。祖父は大政翼賛会からはずされ、戦時下の選挙で非推薦になり、昭和3年に治安維持法に伴う緊急勅令公布により設置された特別高等警察等の政治的弾圧・嫌がらせを受けたそうです。祖父の法律家としての正義感からの発想が東条内閣に曲解されることになった。
選挙の時は先述したように、当時の特別警察などいろいろなところから迫害を受けながら、波瀾万丈の選挙を戦ったんです。選挙が終わった日に「宛所に尋ね人なし」なんていって推薦はがきも全部荒縄でくくって送り返されてくる。そんな状態で「落選」を東条英機内閣に味わわされるということがありました。そんな苦労をしながらも、祖父・福蔵は後に参議院に返り咲いて、再び議員を務めさせて頂いたり、日本人としてトルコ共和国初の名誉総領事を務めあげさせて頂きました。これも戦後の大阪の有権者による深いご理解の賜物であります。本当に感謝であります。
中山マサも波瀾万丈な生き方をしましたが、まさに激動の人生を歩んだ2人が出会い、4人の子どもができました。

中山泰秀議員の経歴

学歴

追手門学院小学校卒業(94期生)
九段中学校 卒業(31期生)
高校時代 フランスに3年間留学
成城大学 法学部 卒業
早稲田大学大学院 卒業(修士)
平田竹男教授に師事

プログラム

米国国務省招待により IVP研修留学
イエール大学上級政治指導者育成プログラム 第1期生

職歴

株式会社電通を経て
総務庁長官秘書官 建設大臣秘書官
衆議院議員 小池百合子(元防衛大臣) 政策担当秘書
元 衆議院議員 中山正暉 政策担当秘書

現在

自由民主党大阪府支部連合会会長
自由民主党治安テロ対策調査会副会長

内閣

平成19年 外務大臣政務官
平成26年 外務副大臣
平成27年 外務副大臣

衆議院

平成16年 衆議院 決算行政監視委員会 委員
平成17年 衆議院 議院運営委員会 理事 議事進行係
  〃    衆議院 政治倫理審査会 委員
平成20年 衆議院 国土交通委員会 理事
  〃    衆議院 外務委員会 委員
平成24年 衆議院 経済産業委員会 理事
平成25年 衆議院 安全保障委員会 理事
  〃    衆議院 予算委員会 委員
平成28年 衆議院 拉致問題特別委員会 筆頭理事
  〃    衆議院 外務委員会 理事

自由民主党

自由民主党国防部会 部会長(2期)
自由民主党安全保障調査会 事務局長
自由民主党遊説局 局長
自由民主党報道局 局長

その他

学校法人 追手門学院 名誉理事
追手門学院大学 客員教授
ブリガム・ヤング大学 ハワイ校客員教授

 

メディア出演

ラジオ Kiss-FM神戸 89.9MHz
「中山泰秀のやすトラダムス」
毎週日曜日午前24:00~25:00生放送中

編集後記



八木 舞

(やぎ まい)
神戸大学法学部1年生

 スーツをビシッと着こなし、休む間も無く働く中山泰秀議員に実際にお会いしてインタビューをさせていただくことで、中山議員は日本の今とこれからのために情熱を燃やす立派な方であると同時に、大阪とお子さんを愛する優しくて親しみやすい方だと分かりました。
 お祖父様の代から続く議員の家系に生まれ、生まれた時から生活の一部として政治を学ばれたという中山議員の子供の頃のエピソードは、一般家庭ではとても考えられないものばかりで、特に「親子ゲンカをする相手が大臣で、食卓は予算委員会だった。」とおっしゃていたのが印象的でした。今の中山議員の堂々としていて、聴く人の心を掴む話術の秘密を垣間見た気がしました。
 1時間弱という貴重なお時間を割いていただいて、中山議員のルーツ、政治家像、この先の目標など中身の濃いお話をしていただけたこと、私の拙いインタビューに付き合ってくださったことに心から感謝したいです。

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